神権政治→王権政治→貴族政治→武家政治→軍事政治→民主政治と政治体系は移りましたが、同時に刀の所持者も神官→天皇→公家→武家→軍人→資... 国宝(こくほう) copyright©“’b–è@@‹ß•º‰q Inc. all rights reserved. 刀剣には、武器と言う面と美術工芸品という面がありますが、歴史的にみるとそれ以上にステータス的な意味合いが強いです。

秋田県(照國萬藏)、愛媛県(前田山英五郎)、山形県(柏戸剛)、長崎県(佐田の山晋松)、鳥取県(琴櫻傑將), 分・預・休を含める・含め無いにかかわらず、横綱が正式な地位として扱われてからは、平成22年(2010年)中に達成した白鵬翔の63連勝が最多である。その前回の記録としては、昭和63年(1988年)の千代の富士の53連勝だった。双葉山定次の69連勝は、平幕から横綱に掛けてのものだった為、双葉山の横綱としての最多記録は36連勝である。逆に横綱としての連勝の最少記録は武藏山武の4。, 不名誉である上、負けが込むと途中休場に至るケースが多い為あまり話題にはされないが、分・預・休を含めず不戦敗(引退時も含む)を含める場合、稀勢の里寛の10連敗が最多記録である(平成30年9月場所(2018年9月)千秋楽~平成31年1月場所(2019年1月)4日目)。さらに稀勢の里は不戦敗を除けば8連敗であり、昭和2年(1927年)の東西合併以降では単独ワーストとなってしまっている(それに次ぐのは、照国萬蔵・北の富士勝昭・貴乃花光司の3横綱が、不戦敗を含めての8連敗)。尚、一場所での記録としては昭和29年(1954年)1月場所の東富士欽壹の7連敗(6日間の途中休場を挟み、不戦敗1を含む)が最多。一場所皆勤してのものとしては5連敗が最多で、平成30年(2018年)9月場所の鶴竜力三郎まで複数の横綱が記録している。, 番付上に横綱が明記された明治23年(1890年)5月場所以降に横綱から降格した力士はいない。明治23年(1890年)5月場所より前の横綱免許制度時代でも横綱免許を取り消された横綱はいない。そのため、横綱の地位から降格した力士は現在まで一人もいない。, しかし、明治23年(1890年)5月場所より前の横綱免許制度時代で第8代横綱・不知火諾右衛門が大関から張出(三役格)への降格を経験した(当時は最高位が大関だった為)。明治23年(1890年)5月場所より前の横綱免許制度時代でもこのような降格経験者は不知火諾右衛門のみ。不知火諾右衛門は天保11年(1840年)11月に横綱免許を受けながら、翌12年正月場所では番付から消え、天保12年(1841年)11月場所で西張出(三役格)として復帰した。その直後の天保13年(1842年)2月場所で西関脇に昇進し、同年10月場所で西大関に復帰。不知火諾右衛門の降格は相撲会所や、彼を抱える熊本藩、さらにはその熊本細川家の家臣である吉田司家の間で、様々な紛糾、妥協のあった末とも言われるが詳細は不明。, 上記の例は横綱制度が成熟していなかった時代で、かつ上記のように現代では考えられない極めて特殊な場合である。現在では、理論上は横綱の降格が起こり得る唯一のケースとして、日本相撲協会寄附行為施行細則に定める協会所属員への懲罰としての番付降下処分が行われる場合が挙げられるが、横綱の立場上、現実的にはまず考えられないといってよい(これに相当する場合には横綱審議委員会が「引退勧告」を行うことができる)。なお、第41代横綱・千代の山雅信は成績不振を理由に、降格ではなく「横綱返上」を申し出たことがある唯一の横綱であるが、却下されている。, 大関陥落を経験している横綱は、「2場所連続負け越しで大関陥落、翌場所関脇で10勝以上挙げれば大関特例復帰」の現行制度(昭和44年(1969年)7月場所から)の整った昭和以降、三重ノ海剛司が唯一である。特例復帰によらずに大関復帰を果たして横綱になった力士はまだいない。, 「2場所連続負越で大関陥落」になった現行制度以降、大関角番を最も多く経験した横綱は、琴櫻、三重ノ海、3代若乃花の3人(それぞれ3回)。琴櫻には現行制度以前の大関在位があり、大関での負け越し自体は5回で、これも昭和以降の横綱の中での最多。三重ノ海は上述の通り一度実際に大関を陥落しており、大関での負け越し自体は4度、これは現行の角番制度以降に大関に昇進した横綱としての最多となる。なお若乃花には他に大関として公傷休場2場所がある。, 他にも、曙、貴乃花、白鵬、日馬富士、稀勢の里がそれぞれ1回ずつ経験している。また、現行制度以前(昭和33年(1958年)1月場所から昭和44年5月場所まで)の「3場所連続負け越しで大関陥落」だった時代、北の富士が「大関で2場所連続負け越し」での角番を1度経験しているほか、3代朝潮、佐田の山、玉乃島(のち玉の海)らも大関での負け越しがある。, 江戸時代には谷風梶之助は横綱免許前に興行上の理由から看板大関に上位を譲って関脇への降格を経験している。, 横綱が正式な地位として扱われてから、東正位の地位で横綱経験無しだった横綱は西ノ海嘉治郎 (2代)、武藏山武、前田山英五郎、双羽黒光司、大乃国康の5人。, この中で大乃国だけが、横綱在位中に幕内最高優勝(1988年3月場所)を経験している。同場所の大乃国は東張出横綱で、西正位横綱の北勝海と13勝2敗同士の優勝決定戦で勝利したが、当時決定戦の勝敗は番付に影響しない慣例だった。その理由により翌5月場所では、優勝同点の北勝海が東正位横綱、優勝の大乃国が西正位横綱という番付だった。その後1997年9月に相撲協会の理事会において「同地位で優勝決定戦を行った場合、優勝者を上位とし、優勝同点者は下位に廻す」という規定に変更。その為現在であれば翌場所の番付は、優勝した大乃国が東正位横綱、優勝同点の北勝海は西正位横綱と、地位が逆転する形式となっている[23]。, また2代目西ノ海は新横綱だった1916年6月場所で東張出横綱だったが、同場所の番付で正横綱は西の太刀山ひとりで、東正横綱ではないものの東方の最高位にはなっている。当時は東西制の時代で、個人の成績ではなく方屋ごとの総勝ち星によって東西が入れ替わったため、このような現在では有り得ない番付編成もあった。, 昭和以後、横綱昇進後に一度も幕内最高優勝の経験が無かった横綱は武藏山武、男女ノ川登三、安藝ノ海節男、前田山英五郎、吉葉山潤之輔、双羽黒光司、若乃花勝の7人[24]。これ以外で横綱初優勝までの最多所要場所数は照國萬藏の横綱18場所目。年6場所制定着以降では、三代朝潮太郎と柏戸剛でともに横綱12場所目。また照國の7年4ヶ月優勝なしは横綱としての最長記録[25]、年6場所制以降では、大乃国の3年2ヶ月が最長期間(1988年5月〜1991年7月場所)で、20場所の間横綱として優勝無しも昭和以降の横綱で最多記録である。, 本割及び優勝決定戦対横綱戦勝利記録とは、本割と優勝決定戦において、横綱戦勝利数を指している。, 横綱同士の対戦で連勝した最多記録は7。双葉山が男女ノ川戦で、白鵬が朝青龍戦でそれぞれ記録している。, 幕内最高優勝回数や連勝記録、勝率が際立って高い横綱は大横綱(だいよこづな[26])、特に元号が昭和・平成の頃に活躍した横綱はそれぞれ、昭和の大横綱、平成の大横綱と呼ばれている。, 江戸時代の大横綱は谷風、明治時代の大横綱は初代梅ヶ谷。大正時代の大横綱は太刀山、栃木山を指すことが多い。, 谷風の横綱在位場所数は年6場所制定着後の大横綱と比べ少ないが、谷風が実質的な初代横綱であり現役中に横綱制度ができたことや、当時本場所が年2場所制だったことを考えると少ないとはいえない。また、現在の年6場所制で大横綱とよばれる貴乃花(優勝22回)、北の湖(優勝24回)等の優勝回数に比肩する優勝回数(谷風の優勝相当成績:21回)を、現在の3分の1しかない年2場所制で達成したことを考えると、谷風の優勝回数は極めて多いといえる。, 現に150年以上の年2場所制の時代で20回以上の優勝・優勝相当成績を達成したのは谷風と雷電(優勝相当成績:28回)だけである。さらに、優勝20回以上、50連勝以上、通算勝率9割以上を達成したのは大相撲の長い歴史の中で谷風だけである。以上のように、谷風は天下無敵とよばれるのにふさわしい成績を収めている[27]。そのため谷風は歴代横綱の第一人者とされ、実質的な初代横綱として横綱の模範とされる大横綱である[28]。, 太刀山の優勝回数・横綱在位場所数は、昭和の大横綱と言われる双葉山の成績と比較しても遜色ない。両者は谷風、雷電と比較すると優勝回数が少ないが、谷風を除けば年2場所制下の横綱中で優勝回数が多い。年2場所制下では双葉山は歴代4位、太刀山は歴代5位の優勝回数である。年6場所制での大横綱である大鵬、千代の富士、北の湖、貴乃花と比べれば優勝回数・横綱在位場所数が少ないが、年2場所制下での成績であることや連勝・勝率からして大横綱と呼ばれるのにふさわしいと考えられている。, 昭和の大横綱は、一般的には双葉山、大鵬、北の湖、千代の富士の4人を指すのが妥当と考えられる。なお千代の富士は、平成初期(元年〜3年)にかけても活躍しているが、昭和末期(56年〜63年)の頃の活躍が主であり、「平成の大横綱」と呼ばれる事はほとんどなく、「昭和最後の大横綱」と呼ばれる事が多い。, 平成の大横綱は、第65代横綱・貴乃花が活躍し始めたころ、昭和の大横綱と比較する形で生まれた。第68代横綱・朝青龍も、優勝25回・7場所連続優勝・年6場所完全制覇などの大記録を誇る。, 第69代横綱・白鵬は2009年と2010年に年間最多の86勝を達成し、さらに2010年には年6場所制以降で史上初の4場所連続15戦全勝優勝や、平成最多の63連勝を成し遂げた。年6場所制では概して幕内優勝回数が20回を超えると大横綱と呼ばれる傾向があるが、2011年9月場所で白鵬も優勝回数を20回の大台に乗せ、2015年1月場所には大鵬を超える33回目、2017年11月場所には40回目の優勝を記録。記録上では「大横綱」と呼ばれるが、実際には「第一人者」と呼ばれる。, 特に上述の横綱の中で、谷風と双葉山は力量だけでなく品格抜群と評され、歴代横綱中別格の存在として他の力士の模範となっている。, 年6場所制になってからの大鵬以降の大横綱(朝青龍、白鵬も含む)間の対戦成績は以下の通り。, 対戦は全て幕内のみで十両以下での対戦はなし。大鵬が引退した1971年5月場所は北の湖新十両の場所。