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目次 1 斎藤道三 前編 開運の夜の章-あらすじ2 松波庄九郎の素性3 永正14年(1517)の京の現状4 開運の夜の章に出てくる用語5 開運の夜の章で司馬さんが説明している資料5.1 斎藤道三の風貌6 司馬史観-歴史を俯瞰して一つの物語と 2020年5月27日 2020年5月30日; 読書日記; 今年の大河ドラマ「麒麟が来る」 斎藤道三役の本木雅弘の怪演に引き込まれて、連休前に文庫本全4 2020.06.19 新型コロナウイルスの影響により大河ドラマ「麒麟がくる」の放送が延期となっています。 そこで「麒麟がくるまでお待ちください 戦国大河ドラマ名場面スペ … 戦国時代初頭、一人の青年僧が寺を抜け出して京の町で何とか生きていこうとするところから話は始まる。, 寺では「智恵第一の法連坊」と呼ばれた松波庄九郎。一方、大きな油商奈良屋の女主人お万阿。この二人の出会いから深い関係に至るまで、その描写は男目線が強すぎて、時として反感を持ってしまう。それでも、最終的には圧倒的な二人の魅力にしてやられた。道三亡き後に、お万阿は光秀や信長と会う場面も出てきて、道三の生きざまをつなげる重要な役どころとなる。, さて、お万阿の亭主となった庄九郎、持ち前の知恵と才覚で奈良屋を乗っ取り、山﨑屋と屋号を替えてその主人となるわけだが、それが何とも言えない爽やかさでなされる。お万阿も店の手代たちをも庄九郎のファンにしてしまっているその手際の鮮やかさ。, しかしながら、庄九郎はもっと大きな野望があった。将軍になる。そのための足掛かりを美濃と定め、国守土岐頼芸に近づいていく。庄九郎は知識、智恵を兼ね備え、詩歌にも造詣が深く、茶を嗜み、槍を持っては右に出るものはおらず、その上、山崎屋の富も持っている、まさにスーパーヒーローとして描かれている。, 京と美濃を行き来して、京では油屋の主人としてお万阿を可愛がり、美濃では武士として国盗りに奔走する。, その間、後の「蝮」と言われることとなる凄みを見せながら、とうとう美濃一国の主となる。楽市楽座や天守閣を築いたりは道三のアイデアだと言う。それを足場に天下を狙うが、さすがに人ひとりの一生では短すぎた。, 斎藤道山はいわば創業者。ワンマン経営で突き進んだが、彼を支える人材を育てて事業を継承するところまでは手が回らなかったようだ。息子の義龍と対立し倒れることとなる。, その中でも信長の異常さは際立っていて、エネルギー量の多さ、心の強さ鈍感さ、人を道具としてしか見ない、その目利きぶりと冷徹さ。, 信長は光秀の小賢しさを嫌っているが、彼の戦略家、外交力、行政面での有能さを誰より認めている。それで、一介の牢人の光秀を酷使しつくし、その働きにより城持ち大名に引き上げる訳だが、天下統一を前にとうとう光秀の神経が耐えられなくなる。そして本能寺の変へと・・・・・, 確かに信長は狂気を持った天才で、この変革期にのみ活躍できる人物。それに対して光秀は有能な官吏でまっとうな常識人、いい人、でもやはり魅力には乏しい。, 全編読み終わって、つくづく斎藤道三の魅力が際立ってきた。彼が人の倍、寿命があれば・・・・そんな想像もしてみたくなった。. 国盗り物語 斎藤道三 前編 槍術「一文銭」,槍、 槍の章では西村勘九郎がの時より独学で学んだ槍術で声名を上げようとする。国盗り物語より読み解く戦国時代の槍術についても記載しています。 1973年の司馬遼太郎原作の大河ドラマ「国盗り物語」のキャストは?あらすじは? TV番組. 2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」。 6月21日放送の名場面スペシャル「国盗り物語」放送後の感想まとめ記事です。 視聴者の感想 前回(独眼竜政宗)の感想はこちら。 次回(名場面スペシャル・利家とま …

その宝蔵院は、このころまだ誕生していない。庄九郎よりも一世代後のことになる。, 胤栄(いんえい)は安土桃山時代の興福寺の僧兵で武術家。興福寺子院の宝蔵院の院主。十文字槍を使用した宝蔵院流槍術を始めた。, 柳生宗厳とともに上泉信綱の弟子となり新陰流剣術を学び、槍術を大膳大夫盛忠に学ぶなど、多くの師に付いたと伝えられるが、中でも天真正伝香取神道流大西木春見の影響が強く表れている。, 素槍に比べ槍としての攻防を多様にする十文字鎌槍の創始は当時の槍術には画期的なものであった。, 晩年は僧侶が殺生を教える矛盾を悟り槍術から離れ、僧としての活動を主にした。二代目は胤舜(いんしゅん)が継いだ。, また、福島正則の家臣で勇猛な武将として知られる笹の才蔵こと可児吉長が、初代胤栄に教えを請うた、とも云われる。, 司馬さんの短編集『新選組血風録』の「槍は宝蔵院流」では、新選組七番組組長の谷三十郎が宝蔵院流槍術の使い手として登場している。, しかし、司馬さんは国盗り物語で、槍術を日本で開創したのは庄九郎だと、庄九郎に語らせている。, 庄九郎は京の妙覚寺法蓮房時代から竹藪で、槍の練習をしている。何故竹藪の中で練習をするのかというと、実際の戦場は敵味方の人馬が密集していて周りに気を付けないといけない、それを群集している竹にみたてている。, そして、竹の枝から糸をたらし永楽銭を吊り下げ、その永楽銭の穴めがけて竹でつくのである。, 司馬さんはこの練習の様子を、旧記に書かれている言葉で槍術「一文銭」の章で紹介している。, はじめのほどは手のうち定まらず、突き通すことも能はざりしかども、極意も業も一心にありと兵書にいへるごとく、つひには百度、千度、突くといへども一つもはづすことなし。, 日本の槍術の開設の名誉は庄九郎に与えられるべきであろう。と、司馬さんは書いている。, 「剣術」という名称については、日本では刀と剣の認識が混ざってしまい、「刀剣」として曖昧となってしまった。日本では中国から伝来した両刃(諸刃)の剣(つるぎ)が廃れ、蕨手刀の流れを汲む片刃の日本刀(かたな)へ完全に移行してしまったためである。, なお、日本における「刀」という言葉は中世(平安時代~戦国時代)では短刀を指し、刀剣といえば太刀のことであった。刀が刀剣(打刀・太刀)を表すようになったのは近世(安土桃山時代)からである。, 庄九郎のこの時代の槍術は生まれたばかりだったが、剣術はすでに中条流、小田流、神道流、鹿島神流などの流派がおこっていた。, そして、秘伝を習った門人たちが各地で武者修行と称して諸国を歩き回るものが出始めていたころだった。, こういう兵法者に対して、戦国武将の態度もそれぞれあったようで、織田信長、豊臣秀吉はまったく無関心だった。, 徳川家康も好きで、家康の兵法好きが諸侯に伝染し徳川初期の剣術黄金時代が出来上がった。, 司馬さんは、槍、 槍の章で武田信玄の家臣、高坂弾正の言葉で戦国武士の武芸論を記しています。, 「戦国の武士というものは武芸を知らずとも済みます。木刀などで稽古するのは太平の世の仕様であります。われら乱世の武士は始めから切り覚えてゆくものでありますから、自然の修練となるものであります」, 次回のコメントで使用するためブラウザーに自分の名前、メールアドレス、サイトを保存する。, このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください。, 管理人のryoujiroです。兵庫県神戸市で生まれ大分県で育ち数年程前より門司港に定住。歴史小説家司馬遼太郎さんも愛した関門海峡。ここから門司港関門界隈の魅力等を発信します。, 長井利隆に同行し庄九郎は土岐頼芸に会う。名を西村勘九郎とする。土岐頼芸の愛妾深芳野も登場する。. 国盗り物語〈1〉斎藤道三〈前編〉 (新潮文庫)/新潮社 ¥788 Amazon.co.jp 司馬遼太郎『国盗り物語』(全4巻、新潮文庫)を読みました。Amazonのリンクは1巻だけを張っておきます。 いきなりですが、「歴史」と「歴史小説」の違いが何か分かりますか? 国盗り物語 斎藤道三 前編 槍術「一文銭」,槍、 槍の章では西村勘九郎が法蓮房時代より独学で学んだ槍術で名声を上げようとする。, 庄九郎が美濃への帰り支度をしている頃、京に槍の芸を見せる大内無辺という修験者のいでたちをしたものが現れた。, この当時、京は噂の生産地。大内無辺はそれを心得て、京の町で槍術というこの当時は珍しい芸をみせていたのだ。, 庄九郎は山崎屋庄九郎でなく、美濃土岐家の家来西村勘九郎として大内無辺に試合を申し入れた。, 三条橋には大勢の見物人が見守っている。勘九郎にとっても大事な客で彼らがしゃべる話は東海、山陽、山陰と広がっていくだろう。話題としての効果は大きい。, が、どちらもよらずに時が過ぎてゆく。見物客も試合がなかなか始まらないので飽きてきた。, 勘九郎も見物客のなかのあぶれ者に銭をあげ火をおこさせた。そして、相手の火を消してきてくれと頼んだ。, あぶれ者も最初は嫌がったものの、オレが勝てばあいつらの槍と衣類をくれてやると言った。, 火が消えたと同時に勘九郎の槍が大内無辺を捉えた。大内無辺が慌てたところを刀で斬り倒した。, 数人の門人も勘九郎の餌食になったが、二人の門人は槍と刀を捨て、衣類を脱ぎ捨て命からがら逃げていった。, 平安時代中期以降に主流だった薙刀は徐々に衰え、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて槍が生まれた。, 雑兵用として発達した槍だが、応仁の乱の後、次第に武将も使うようになり、武芸としての槍術が発達していった。, 勘九郎が大内無辺の槍術の芸に惹かれたのは、この当時は槍の芸といわれるほどの技術はまだ編み出されていなかったからなのだ。, ちなみに、奈良興福寺二万五千石の子院で宝蔵院の住僧覚禅房胤栄(いんえい)が、槍術史上の祖とすべきである。槍術の諸派はほとんどこの宝蔵院から出、幕末にいたるまでこの戦国中期の流祖の編んだ技術以外にさほどの工夫も出なかった。 後の斎藤道三、松波庄九郎が御所の紫宸殿のやぶれ築地に腰をおろしているところから物語は始まる。, 京の西郊、西岡の生まれでかつては妙覚寺本山の僧で知恵第一の法蓮房と呼ばれ、と褒めたたえ、, 続けて、知恵第一どころか、学は極め弁舌も劣らず、さらに舞も出来、鼓も打て、笛は名人の域。もっとさらに、寺でも教わってない刀槍弓矢の術まで、神妙無比の腕前と、, だが、寺を出て、俗名を松波庄九郎という名にした、後の斎藤道三はこの時は乞食にまで成り下がってしまっている。, 応仁の乱以来の戦乱で、御所も廃墟と化し、弘徽殿、仁寿殿の屋根は落ち、柱は朽ちている。, 先帝(後土御門帝)が亡くなって17年経っているが葬儀もしていない。後柏原帝の即位の費用もない。, と、応仁元年(1467年)~文明9年(1478年)の約11年間にわたって継続した内乱、応仁の乱によってその後もずいぶん長い間、京の町が荒廃していたことが分かります。, 応仁の乱-室町時代の応仁元年(1467年)~文明9年(1478年)のまでの約11年間にわたって継続した内乱。 室町幕府管領家の畠山氏、斯波氏の家督争いから、細川勝元と山名宗全の勢力争いに発展し、室町幕府8代将軍足利義政の継嗣争いも加わって、ほぼ全国に争いが拡大した。, 御所-主に天皇など特に位の高い貴人の邸宅、またはその人を指す、歴史上の称号のひとつ。そのいくつかは現代にも名称を残している。, 弘徽殿-平安御所の後宮の七殿五舎のうちの一つ。転じて、弘徽殿を賜った后妃の称としても使われる。, 天子(てんし)-中国や日本で用いられた君主の称号。天命を受けて天下を治める者の意。, 後土御門帝(ごつちみかどてい)-日本の第103代天皇享年59。葬儀の費用も無く、40日も御所に遺体が置かれたままだった。近衛政家による『後法興院記』に記されている。, 後柏原帝(ごかしわばらてい)-日本の第104代天皇。応仁の乱後の混乱のために朝廷の財政は逼迫しており、後柏原天皇の治世は26年におよんだが、即位の礼をあげるまで21年待たなくてはならなかった, 司馬さんは岐阜市の日蓮宗常在寺を訪れて、重要文化財にもなっている絹本著色斎藤道三像を見て、この章で道三の風貌を描写しています。, 岩彩は変色剥落している。が、しさいに描線をたどれば、たれの眼にでもありありとその骨柄、人相をうかがうことができる。丈の十分にある筋肉質の骨柄で、贅肉はない。顔は面ながで、ひたいは知恵で盛り上がったようにつき出ている。下あごは、やや前に出、眼に異彩があり、いかにも機敏そうな男である。, 斎藤道三は江戸時代から評価の定まっていた人物です。日本の歴史上、これほどの悪人はいないとされてきました。, しかし、司馬さんは、そんな悪人がどうして美濃一国の大名になってしまったのか?と疑問に思いました。, 道三が美濃へ行くと、多くの人が彼に魅力を感じたらしい。魅力とは何なのか?と考え込む。, 道三は権力が渦巻いている京で育っており、そこで権力というものの儚さを知ることになる。, それはなぜかというと、のちに彼が中世的な貴族社会に入って行くときに、大きな評価を受けます。, まず、お行儀が出来たからですね。中世はなにかと行儀作法がやかましい時代だからです。, 仏寺の生活を通じて道三が相当の教養を身に着けていたのは確かだと司馬さんは言います。, そして、寺を出て油商人になり、諸国の情報を得て、物事を経済的にとらえる感覚、能力を身につけた。, そうすると、野望を持ち「国主になりたい。どこか盗りやすい国はないか」と京に近い美濃に目をつける。, 司馬さんは言います。道三の時代、国主の土岐氏の力が落ち込んでいて新興勢力の織田信秀、北近江にも強力な勢力がおこりつつある。, このままだと美濃は人に盗られるのではないのか。一村ずつつぶされていくのではないのか。誰か英雄が出てきて、固めてくれないかという機運が熟しつつあった。と、司馬さんは考えたのです。, それで道三は一人で京から美濃に行き、古ぼけた家柄だけ残っている土岐家を乗っ取ってしまう・・・。, 司馬さんはこの司馬史観で独自の斎藤道三を書き上げ、江戸時代の頃から定説となっている斎藤道三悪人説を、, 『国盗り物語』を世に出すことで、新しい道三像、道三正義説を広めることになりました。, 司馬さんの言う正義とは何かというと、道三自身が登場しなければ、美濃は滅びてしまう。ということです。, 政治的な環境に鈍感な土岐氏は、美濃を食いつぶす白アリ以外の何物でもない。体制を新しくして秩序を立て直し、しかも治安を良くして民衆を守る。道三はこれこそ正義だと自分を信じ込ませたと私は想像すると司馬さんは言っています。, 司馬さんの歴史を俯瞰して一つの物語と見る「司馬史観」と呼ばれる独自の歴史観が感じ取られます。, 次回のコメントで使用するためブラウザーに自分の名前、メールアドレス、サイトを保存する。, このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください。, 管理人のryoujiroです。兵庫県神戸市で生まれ大分県で育ち数年程前より門司港に定住。歴史小説家司馬遼太郎さんも愛した関門海峡。ここから門司港関門界隈の魅力等を発信します。, 長井利隆に同行し庄九郎は土岐頼芸に会う。名を西村勘九郎とする。土岐頼芸の愛妾深芳野も登場する。. 『国盗り物語4巻 織田信長 後編(司馬遼太郎 著)』の感想レビュー。 スポンサーリンク あらすじ すさまじい進撃を続けた織田信長は、上洛を遂げ、将軍に足利義昭を擁立して、天下布武のりそうを実行に移し始めた。 しかし信長と

読書日記その12「国盗り物語」司馬遼太郎著 .