9/14 地域の小学校での「敬老の集い」で、ピアノの先生(女性)と私のT.saxで<君恋し>も演奏する予定です。, “低音の魅力”で一世を風靡したフランク永井さんが亡くなりました。素晴らしい低音で、腹の底に響くようなサウンドが印象的でした。謹んでご冥福をお祈りいたします。わたしがこの歌を覚えたのは、明治生まれの母の影響でした。ですから、フランク永井のリバイバル以前のことです。二木様の解説で、初めてリバイバルでは3番の歌詞がないことを知り、わたしが覚えていた『えんじの紅帯ゆるむもさびしや』のフレーズをかれはなぜ歌わなかったのか、理解できました。, この曲は昔、ラジオで古いバージョンを聴いた事があり、それから好きになりました。今から思えば二村氏の古い録音だったのでしょう。フランク永井のバージョンよりもはるかにアップテンポでありました。実は私、フランク永井、「つまらない」とまでは思いませんし、彼の歌唱は必ずしも嫌いではないのですが(晩年はかなり声が落ちて気の毒でしたが)、この曲については古いバージョンのテンポのほうが好きです。浅草オペラの大御所、田谷力三氏が舞台で歌っておられるのもTVでみたことがありますが、これもまた、本当に恋心を歌う情熱的な名唱でした。, 私も何度か人を好きになったことがありますが、いずれも届かぬもので、そのたびにこの曲を口ずさんで来ました。。。。, 二木先生によれば、<君>の呼び掛け対象は、概ね昔の流行歌では女性→男性、今(戦後)の歌謡曲では男性→女性、という解説を拝見。確かにその通りで、私は、このフランク・永井の「君恋し」の<君>は、昭和も36年ですから“女性”のことと疑わず歌っていました。即ち、男が恋に悶える歌、と。   さて、河合様からのコメントに関しまして、改めて、私の受け取り方を申し上げたいと思います。   長嶺様ほかのコメントで、♪首里天じゃなし♪(このように歌っていました)や♪唐ウー♪の意味が解明され、まさに、薄雲が拭われた感じです。勉強になりました。有難うございました。, 自分の病気のことも 省みず  

違っているでしょうか。, 歌手の名は忘れたが、中学生のころハスキーな唄を聴いて心に沁みるものがあった。

この本はたまたま那覇の書店で見つけて買ったものです。, 何年か前のある宴会で、どうしてもとせがまれて、初めてカラオケなるもので歌った歌が芭蕉布でした。この歌は私には歌いやすく、私は沖縄出身なので、「海の青さ」の「の」を沖縄方言らしく「ぬ」と歌った方が歌いやすいので、今でも「の」は「ぬ」と言い換えて歌っています。沖縄の海と空の青さを思い出させ、何か郷愁を誘う歌です。好きな歌の一つです。この歌が歌声喫茶などで、よく歌われていたということなど、後で知りました。, ひょんなことからこのサイトを訪れ、他の歌よりもコメントが多いのに驚き、本土の人にも愛されていることを知り、嬉しく思います。合唱祭などの合同演奏曲などとしてよく歌われています。二木先生に感謝いたします。, 今朝のNHKTVでやっていました。「芭蕉布」の唄は聞いた事がありますが、詳しく知らないままでした。「イトバショウ」から手間のかかる様子が放映されていました。

 昔 「私だけが知っている」 という番組がありましたね     いまだに 虚偽 虚偽 隠蔽 のまま France, Belgium, Denmark, Sweden, Czech Republic, Estonia, Malta, Germany, Luxembourg, Greece, Finland, Slovakia, Latvia, Romania, Italy, Spain, Austria, Hungary, Lithuania, Bulgaria, Netherlands. ほんとにありがとうございました。, 谷あん様のコメントに補足する形になりますが、私たちのグループでは、ウエヴで確認したとおり「首里天加那志」と漢字で表記した歌詞を使用しております。  二番は、一番ほどはっきりしているとは言えませんが、「思い出の窓辺」の下の嘆きの道を歩いはているからには、場面は男性のいる東京です。「やさしく寄り添いし姿よいずこ」と追い求めるところ、やさしく寄り添う風情は、私には、女性の姿としか思われません。西条八十作詞はこういうところには神経が行き届いています。従って二番は男の歌と思っています。  と 自分によく言い聞かせておかないといけません, この歌詞にもどると 金田一先生にお聞きしても??? あなたは「あせねど」は「あせてしまったけれども」という意味で音羽時雨先生は書いたとおっしゃりたいのですね。それなら、先生は「あせたれど」と正しい文語で書いたはず。

楽曲提供者の故もあるでしょうか都会派歌謡は   いのち短し 恋せよ乙女 しゅい(首里)てぃん(天)じゃなしの じゃなしは がなし(かなし)愛しい上級者への敬称の変化したものだそうです。 この歌の謂れを始めて知りました。美しい沖縄の歌ですね。

このサイトで昭和初期の元歌に三番があると知り、歌ってみました。今の私が歌うと、一番、二番は男性の悶えを彷彿とさせますが、三番は完全に女性の恋の悶えを意味していました。二村定一の歌ですが、女性の心の歌だったのです。  見られた方も多いと思います。一度でいいから本物の「芭蕉布」を見たいと思いました。 のの三乗 様は 戦前版の方がお好きなようですが 何となく分かるような気がします 人の心の移ろい や 男女ともに大切なこと と 受け止められる 繊細でリリカルな心情の吐露は 密かに待ち望んでいたところです これからも又 賑やかに盛り上がれば 楽しいですね・・・, つまり、完了の助動詞「ぬ」では「ね」となるのは命令形だけです。命令形は、次の接続助詞「ど」にはつながりません。

   沖縄のために 全身全霊を 注ぎ込まれての結果だと

silent sirenの「八月の夜」歌詞ページです。作詞:すぅ,作曲:すぅ。(歌いだし)君の好きなところ変な癖が 歌ネットは無料の歌詞検索サービスです。 フランクは「乱るる」と唄っていますが、文語調の歌詞であればここは「乱るる」であろうと思われますが。, 高校の頃、寮にいました。この歌を風呂場で歌っていた人がいて誰かが「唇ああせねど」だと言ったので「唇合わせねど」だとひとり合点しました。   あかき唇 あせぬ間に 無料で聞かせていただき恐縮しております。

  プン プン  という詞を書くでしょうか, これが そのころの女性の心理 (男性の作詞家が書く) と思えてならないのです   ですから 先の投稿にも そして、点字で発行された、歌詞ブックにも、この歌詞が載っていました。 「唇褪せねど」は、「私の情熱は前と変わっていないのに」の修辞ではないでしょうか。「唇は合わせなかったけれど」は、行為をそのまま説明したフレーズで、散文的です。, 1950年の映画「また逢う日まで」のガラス越しのキスシーンが大騒ぎになったのですから戦前の昭和4年に「唇合わせる」という歌詞は絶対にありえないと思われます。

間違っているようでしたら、どなたか適切なアドバイスをお願いします。, 今まで、飯田さまのように、一番、二番とも男性の歌と、とくに疑いもせず、思っていましたので、こういう結論になるのは、自分でも意外です。, 定年後に市の老人カラオケ講座を受けてから歌謡曲に興味を持ち、蛇足に書かれている事実を知りましたが、以前はフランク永井の歌とばかり思っていました。YouTubeで二村定一の歌唱を聞くと、テンポが速く、張りのある声でどんどん歌っていて、私が生まれる前の昭和の雰囲気と矜持を感じます。最近のように歌手が思い入れたっぷりに歌うと、逆に観客は自分の情感を広げられない気がします。なお、名歌手、藤山一郎もそっけなく歌っているので、聞くほうは置いてきぼりをくい、何度聞いてもまた聞きたくなるのではないかと思いますが、いかがなものでしょうか。, Youtubeにアップした「君恋し」について調べているうちにこのサイトに出会いました。そして、管理人の二木様の写真を見て、Youtubeの「敏あづま」にとても似ていらっしゃることに驚き、勇気を出してコメントを書いています。「敏あづま」は、日本国内や海外での仕事を糧としつつ、64歳でCDデビューし、歌との二足のわらじを履いておりました。ラテン、英語、演歌、ブラジルの歌など多彩なレパートリーをもち、退職後はボランティアで各地を巡る予定だった敏あづまです。ダンディでワイルド、味のある歌声が心に沁みる一つが「君恋し」です。この歌の意味を知り、さらに心深く感じるものとなりました。ありがとうございました。, 大枝山昇様が歌曲の場合に主人公が男女逆転することがあるのかという疑問をだされています。私見では、それはあるでしょう。あとで一つ二つ例を挙げたいと思いますが、その前に、「一番、二番を含めて、女性の歌と考えて差し支えない」とのお考え、全くその通りと思います。「君恋し唇あせねど」と鏡に向かって物思いにふける姿は女性としか考えられません。男が君の唇の色は、などというのは露骨すぎて失礼、というのも同感です。フランク永井が歌おうがだれが歌おうが、これは女性の気持ちでしょう。平野愛子の歌った「港が見える丘」へのコメントで、槃特の呟きさんが「女性歌手が歌っていても男の歌ともとれますが」と呟かれたのを思い出します。恋情は共通であり、異性の心を歌うことは別に不思議ではありません。 君恋し(戦前版)のころは、生まれておりませんでしたが、フランク永井さんが歌ったころは中学生ぐらいでしたか。その当時はラジオから流れているのをただ聞いているだけでしたが、今改めてしみじみと聴いております。お元気で。, 最近の歌謡曲ではあまり聞かれないポストルードなど、今では知る由もない当時のざわめきが聞こえるようです。, 歌詞以外でといえば「夢去りぬ」で知られる服部良一の曲はいろんな題名と歌詞が付けられていますが、ぜひ歌詞が一番しかなく中ほどの歌声も楽器パートの一部のような「夢去りぬ」を二木様のオーケストレーションでお聞かせいただければと思いキーボードをたたいております。, 私は、小学校の頃でしたか?ラジオで、君恋しの原曲を聴いた事がありました。 別れさせたい((意味深 爆笑、まぁそれもぼちぼーち とりま私は愛されてること実感(笑) ブログのコメントも お漏らししそうな勢いで 嬉しいし元気でるし何より ニヤニヤして見てるよ← まぁ言いたい事は皆大好きってことや 以後、この件についての投稿は非表示とします。

後が続かない。, 数年前、偶然アクセスした二木様のサイト。それ以来、だんだんと惹きつけられて来て、今は、心がうつろなとき、しみじみとしたときなどに聴かせていただいております。

 「褪せたけれど」なら、「褪せぬれど」となっているはずです。, 未然:ず(ざら) 連用:ず(ざり) 終止:ず 連帯:ぬ(ん) 已然:ね(ざれ) 命令:ざれ, 私の前の説明(戦後版「君恋し』)では、否定の助動詞「ぬ」と書きましたが、「ぬ」は「ず」から派生した否定の助動詞で、正確な書き方ではありませんでした。 深みがないのでは、それとも現代の若者は新しいものにすぐ飛びつき

 すばらしいですね。   熱き血潮の 冷えぬ間に そして、その歌詞ブックを持って、近くのカラオケボックスに行った所、この原曲も、カラオケとして、出ていました。 昭和36年当時、<君>が、恋愛関係では男性から女性への呼称に変化していて、フランク・永井版に元歌の三番があると歌全体のイメージがごちゃごちゃになるので、三番を削除して男心の歌としたのに間違いないでしょう。同じ歌の同じ歌詞が、世に連れ歌に連れてイメージが正反対になるのですね。, 飯田さまのコメント、目からウロコです。「君」といえば女性とばかり思っておりました。

「じゃなし」とひらがな表記にすれば、「何々ではない」と誤解されるのも当然だと思います。「今は昔の首里天ではない」となれば、首里天王宮が現在も存在するということになり、現状と矛盾します。

英語の歌詞をどこかで探せないものでしょうか?とても読んでみたくなりました。, 「唐ヲゥー」という歌詞の意味が解らないのですが、どなたか教えて下さい。

ところで、君恋しの歌ですが、フランク永井のように思い入れたっぷり、かつリズミカルのと違って、昔のバージョンの方が、テンポだけはとても速かったように記憶しています。よいやみせまれば~、などはツツツーと速いスピードでどんどん進んで行ったように思います。そして、それが却ってせつなさやはかなさを印象強くさせていたような…。 が、最近になって、それは削除されていました。 不躾な質問でごめんなさい。, >二木先生が「シュリティン」とした決め手  どこに? 多分沖縄の言葉(方言?)だと思いますが・・・。, はじめまして。定年後に歌を習い始めここを利用させてもらっております。さて、芭蕉布の歌詞の質問が見られますが、芭蕉布 歌詞をグーグルで検索すると 芭蕉布:たる一の島唄のまじめ研究 があります。ここに詳しく載っています。沖縄県は遠く離れた沖縄と宮古島、石垣島の三島から成っており、作詞者が石垣の竹島出身であることから 上納は沖縄の首里の大様にしたと自分は解釈しています。間違っていたら教えてください。唐ヲゥーは とーうーで 唐(中国)から渡来したうーの意味(うーとは糸芭蕉)だそうです。, 検索されない方のための追記です そして、フランク長いは、「みだるる」と歌っていますが、原曲では、「みだれる」と歌っていますし、点字の歌詞ブックにも、「みだれる」と書いてあります。。, 君恋し 二村定一 - YouTube ※2020年8月時点での規制対象国(EU加盟国)は、下記の通りです。   君くれないの くちびるも   ああ花も夢もかえらず  男女を問わず年を取ってくると肌の色が悪くなるのと一緒で、唇の色も紅の色が褪せて白っぽくなったり黒ずんできたりします。この歌の女性はまだ若くて唇は紅かと思います。人を恋しても相手に想いが届かず悲しくて切なくて苦しみで胸が一杯になるという歌でしょうね。臙脂の紅帯ですからまだ若い娘さんでしょう。若い娘さんの届かない思い、痩せるほどの思いですから本当に恋、焦がれているのでしょう。純情な娘さんの気持ちわかってあげて下さい。私も若い娘に戻ってこんな恋をしてみたいと思います。この相手の男性はこれほど思われて男冥利に尽きると思います。, ハコベの花様からの、うら若き乙女の思いの届かない恋についての投稿を、深い関心を持って拝読しました。ハコベの花様の思いがよく伝わりました。 2番、3番との兼ね合いから、また戦前女性の心情から、助動詞の活用形まで変えてしまうというような乱暴なことは、音羽時雨はしないと思いますよ、訊いてみるまでもなく。 先生 いつも 有難うございます。, 二木先生こんにちは、いつも楽しませて頂いております、そして待ってました、この美しい”芭蕉布”のメロディ聴きたかったです、うれしくて懐かしくて涙が出てきます。二年前、石垣島に旅行に行き、市内の音楽スナック「芭蕉布」での楽しかった思い出がよみがえりました。ありがとうございました。, 二木先生、いつもすばらしい音楽を有り難うございます。

   差し出した?? 一番、二番、三番・・・で趣旨が違う歌なんていくらでもありますよ。というより違っている歌が大多数です。同じように、各番の同じ部分で文字数が違っている歌も昔からあります。フォークソング・ブーム以降とくに増えましたが。, 「君恋し」は、恋に身を焼く女性の心情を謳った歌詞と、短調のメロディがよくマッチして、聴く人の心に響く名歌であろうと思います。  文法はともかくとして、食べられない、眠れない、という恋をして見たらいかがでしょうか。私は帯が緩むほどの恋は知りませんが、若い時に小姑の意地悪で5日で6キロも痩せました。ですから唇は褪せなくても、10日でも想う人に思いが届かなければ痩せることはあると思います。試しに素敵な方に真剣に想いを寄せてみてください。この歌の意味が実感できると思います。, のの三乗様  そうして一年も経たないうちに二人が海底に散った。 ユーチューブの中にも、SPレコードがアップされているのを見ます。 そこには、うた、二村定位一とあり、歌詞は3番まで書いてありました。   ゆきて還らぬ 紅唇よ   熱き心よ今何処

  我が身を振り返ってみますと、多くの人が若い時に経験するであろう、思いの届かない恋、あるいは、成就しない恋の辛い思いは、いずれ、時が解決してくれるでしょうが、その後の人生における大切な、ひそかな思い出となりましょう。 意味の深さに打たれました よくぞ書いてくださいました。  以上、①君恋し」は一番二番もすべて女性、ただし、②主人公の変わる歌はある、という私見でした。, 「歌声サロン」というソサエティのお世話をしているので、いつも大変勉強させて頂いていること、まず心から御礼申し上げます。さて、主人公が男か女かという皆様のご意見にも関連しますが、小生は「唇あせねど」のフレーズが色'褪せねど'ではなく、'合わせねど'ではないか?その方が意味が通じるがなあ?と昔々から思って来ました。フランク永井の歌い方・口の開き方から前者のフレーズに記されて来たのではないでしょうか?

歌声喫茶で人気だった由。1967年の上京時には、歌声喫茶はもう下火で、歌なんぞ歌っていられるか、という気持ちもあって、誘われるまま二度ばかり行きましたが、歌うことなく、気まずく帰ったと記憶しております。  奥ゆかしく 三歩さがってついてきてくれる女性を, 私は 唇が紅いままなのに あの人はどうしたのだ 今、命終近き病床にあり、繰り返し繰り返し、涙して聴いております。   文語の活用型を追うと 否定の ず の已然形 ね 沖縄は「琉球」として、国としても民族としてもしっかりとしたアイデンティティを持っていたにもかかわらず、歴史の波はこの島を呑み込んで、あるときはアメリカの一部に、そしてさらに日本の領土にと、ある意味物のようにやりとりされました。(基地問題などはその続きですね)そんな中にあって、自分たちの変わらない魂を歌ったのが、この『芭蕉布』なのだと気づきました。 幾度か恋を経験した女性であっても 摩文仁の丘や ひめゆりの塔等の戦争遺跡を訪れた時は、なんともやりきれない感情に襲われたことも、今思えば、懐かしい思い出です。, 伊丹空港から、ゴルフバッグを抱えて飛行機に乗り込んでいたとは、さしもの会社の上司様でも気がつかなかったことでしょう??  絶対の答えは 作詞された時雨音羽先生のみが知っている  

いっそのこと、一番、二番も含めて、女性の歌と考えて差し支えないようにも思えるのですが…。

だれかもう一度、この原曲を、リバイバルで歌ってくれないかなと思っています。 家内もコーラスで歌っています。幾度となく繰り返し聞いています。 ちなみに吉川安一さんはどう歌われていたのでしょうね?二木先生が「シュリティン」とした決め手はなんでしょう?   ここのところ、歌詞1番のなかの、”唇あせねど”の受け取り方について、幾つかの投稿がなされています。それらを閲覧して、改めて歌詞を熟読して、私なりに、あれこれ思いを巡らせてみました。

薩摩? それでも 沖縄は

朱(あか)き唇 褪(あ)せぬ間に

 レコードが一番を藤山一郎にした理由は知りませんが、想像するに、二木先生の言われるような明るい曲調が藤山一郎にぴったりなので、歌い出しは藤山がいい、となったのではないでしょうか。   時間的に 変わっているのですね

  君がみどりの 黒髪も

(二木紘三), 良い曲ですね。時々うっとりと陶酔して聴いています。

 レコードでは一番を藤山一郎、二番を二葉あき子が歌います。しかし、一番の「あこがれれは悲しい乙女の涙 風よ運べよいとしの君へ」が、離れて来た東京の恋人と銀座の街にあこがれる女性の歌であることに異論はなさそうです。「いとしの君へ」という言い方が、この歌の昭和15年頃なら女性のもの、ということも二木先生のお説にある通りです。 まことに有難うございました。, やっぱり昔の曲は繰り返し何度聞いても飽きがこない。 しかし、通夜や葬式で泣きわめいたり、盛大に涙を流す人より、普段の顔つきで忙しく立ち働く妻や夫のほうがずっと悲しみが深いという話を聞いたことがあります。  フランク永井のつまらない歌声を聞きしばらく封印していたが、この唄を発見し、聴きいっている。   考えています, それにくらべ  A  の無様な生き方

  一方、単純に考えて、失恋の痛手で、①唇が褪せてしまった(潤いを失った唇の)場合、更に辛さが進むと、②”泣けて 涙も枯れはてて”、眼は涙を失い、潤いのない状態になり、もっと辛さが進めば、歌詞3番にあるように、③身も心も痩せ細ってしまう、と想像されます。①と②の中間の状況を表そうとすると、”唇は褪せてしまったが(=のに)、涙は溢れて”(主旨)という表現になるのではないでしょうか。つまり、①に近い方かな、②に近い方かななどと、詩情が膨らむ表現になると思います。”のに”も、 潤いを失った唇と潤いを失っていない眼を結びつける繋ぎの言葉として、意味を持ってくると思うのです。 最近の新しい曲は一時的にヒットしても長続きしません。 乙女の心になるのではないでしょうか。 一方、単純に考えて、失恋の痛手で、①唇が褪せてしまった(潤いを失った唇の)場合、更に辛さが進むと、②”泣けて 涙も枯れはてて”、眼は涙を失い、潤いのない状態になり、もっと辛さが進めば、歌詞3番にあるように、③身も心も痩せ細ってしまう、と想像されます。 確かに、戦前の元歌の三番を考えると、女性の歌と考えるのが自然でしょうね。もっとも、一番、二番は男性、三番は女性というのは、小説には確かにそういう例がありますが、歌曲の場合、そのように主人公が逆転するというケースがあるのでしょうか。お教えいただければありがたいです。    <補足> ”唇はあせていないのに、涙はあふれて”(主旨)との解釈・表現では、詩情に乏しいように思います。, yasushi様 さて、沖縄の曲の大好きな私ですが、今、友人たちと歌うのに「芭蕉布」の歌詞を書いているところです。 慎ましい恋と開放的な恋とどちらを取るかと言われれば私は慎ましい恋のほうを選択します。もう一度若くなりたくなる歌ですね。, フランク永井は好きな歌手の一人でした。 文語動詞「合わす」(旧仮名遣いでは「合はす」)と同じ意味で「合す(アス)」という形は、私が知る限りではありません。送り仮名の「わ(旧仮名遣いでは「は」)」を省いて「合す」と表記されることはありますが、読みは「アワス」です。ですから「合せね…」という活用形もないと思います。「合す」と書くのは「ガッス」と読む場合だけだと思います。, 「あせねど」は分解すると、文語動詞「褪す(アス)」の連用形+否定の助動詞「ぬ」の已然形+逆接の助詞「ど」で、「褪せていないけれども」の意。, 上の歌詞では、「昔恋がうまくいっていたときと同じように、私の唇は赤く輝いているのに、あなたはどこへいってしまったのでしょう。去っていったあなたを思うと涙が止まらない」といふうに私は解釈しています。, 清水閑人様

  またいつか見ん この別れ, ゴンドラの唄では

何とも残念でなりません。  この曲にのって、昭和初期のモボ・モガの時代の、リバイバルで歌われた昭和30年代半ばの…時代背景が、私の中で独自にアレンジされた映像として甦ってまいります。, それに致しましても。『うた物語』に、去年の10月にこの歌をご提供いただいてから、聴くたび思うのですが。     変化がないと 主張することになります, 現代の女性より 弱く 謙譲を美とする方たちが多かった    (ここらは お叱りをうけるかもしれませんが) 「あらざらむこの世のほかのおもひでに今ひとたびの逢ふこともがな」たまには出さない手紙書いてみるのも良いかもしれませんね。, ハコベの花 様

  逢いたい逢いたい  今の君に逢いたい, 惜別の歌では   君がさやけき 目の色も

先生の益々のご健勝、ご活躍をお祈りいたします。, この歌は、近隣の老人クラブのカラオケ同好会でおぼえました。恥ずかしい限りですが、三番の一行目の歌詞「今は昔の首里天ぢゃなし」を何の疑問もなく「今の首里天は昔の首里天じゃない」という意味にとってずっと歌っていました。今頃になってこりゃどうもおかしいと思うようになり、「首里天の時代もいまになってみれば、もう昔のことですよねぇ」という意味なのかと思うようになりました。どなたかほんとの意味を教えていただければ嬉しいのですが・・・・。, はじめまして、フラのレッスン曲が芭蕉布なので、芭蕉布の歌詞が知りたくて、捜していたところ、二木先生のブログ大変参考になりました。芭蕉布がハワイ3世の歌手のために作られた曲であることを知りませんでしたので、「あ-そうなんだ-」と納得!!ありがとうございました。二木先生のブログを私のブログで紹介させて頂きました。他にも曲にまつわるエピソードなど読ませて頂き、まだまだ知りたい曲があるので、これからも訪問させて頂きます。, 編曲もしてしまい申しわけありませんが唄いたかった歌なので頭出しがはっきりしたオケなので使わせていただきました。, この歌の持つ意味を、このブログで理解したように思います。ありがとうございます。 ただただ有難く、先生のご厚情に深く、深く感謝申し上げます。 恋するときは  いつも初心に還って   明日の月日は ないものを, いのち短し 恋せよ乙女 つまり、首里天じゃなしは首里王様と言うようなことだそうです。, 谷あん様

差し出そうとしている??

  それほど 男女ともに大切なことがらと考えます, 何がおこっても あわてない あせらない <補足> ”泣けて 涙も枯れはてて”の表現は、「星の流れに」(清水みのる 作詞、利根一郎 作曲、菊地章子 唄 S22)の歌詞1番を参考にしました。, Yasushi様

さて  諸説ある~くちびる褪(あ)せねどは, 「ゴンドラの歌」の歌詞に共通すにものと思われます。 私は3年で13キロ痩せました。鏡を見てぞっとして死ぬ思いで食べて5年半で8キロ回復しました。, 那須は雪 様の投稿を拝見しました。    褪せず  ととると この一番だけが フランス、ベルギー、デンマーク、スウェーデン、チェコ、エストニア、マルタ、ドイツ、ルクセンブルク、ギリシャ、フィンランド、スロバキア、ラトビア、ルーマニア、イタリア、スペイン、オーストリア、ハンガリー、リトアニア、ブルガリア、オランダ, The regulated countries are as follows. ※GDPR(EU一般データ保護規則)対象国から歌ネットをご利用いただくことができません。.   以上、一私見であり、全く主観的な受け取り方です。当然、他の受け取り方もあろうかと思います。それはそれで受け止めたく存じます。 かな   また、58歳でありながら、うかつにもこの歌の存在を知りませんでした。 35年ほど前に初めて聞いて以来耳から離れない曲です。皆さんのコメントも大変参考になりました。  しかし、いずれの場合も、「ね」は否定の助動詞の已然形で、これは次の助詞「ど」につながります。, 褪せていない唇、朱き唇等が情熱や若さを象徴する言葉だというのは、その通りだと思います。, 釣り人コマツさまのいわれるように 歌にまつわる物語や思い出など。曲はmp3で配信しています。2000年2月にホームページ形式でスタート。, 1 宵闇せまれば 悩みは涯なし  みだるる心に うつるは誰(た)が影  君恋し 唇あせねど  涙はあふれて 今宵も更け行く2 唄声すぎゆき 足音ひびけど  いずこにたずねん こころの面影  君恋し おもいはみだれて  苦しき幾夜を 誰がため忍ばん  君恋し 唇あせねど  涙はあふれて 今宵も更け行く  今宵も更け行く 今宵も更け行く, 《蛇足》 オリジナルは、昭和4年(1929)に浅草オペラの人気歌手・二村定一(ふたむら・ていいち)が歌った曲。『波浮の港』や『東京行進曲』などとともに、歌謡曲レコードの草創期を代表する作品の1つです。 戦後の昭和36年(1961)、この曲がフランク永井の歌でリバイバル・ヒットしました。オリジナルよりスローテンポで、スイング・ジャズ風にアレンジされています。 たとえば、原曲で八分音符2つの組み合わせになっているところを、付点八分音符+十六分音符の組み合わせに変えるなどしてスイング感を強くしています。 前奏・後奏も変わり、歌詞は3番が省略されました。 原曲と聞き比べてみると、おもしろいと思います。 原曲は映画の主題歌でしたが、このリバイバル版も、翌年公開された日活の歌謡メロドラマ『君恋し』(森永健次郎監督)の主題歌として使われました。原作は作詞者の時雨音羽でした。(二木紘三), 二木先生